「音楽とは、静寂への挑戦」自分のセンスのなさに打ちひしがれた時に刺さる言葉6選
アカペラを続けていると、なぜわざわざこんなに難しいことをやっているのだろう、自分はなんと才能がないのだろう、とうちひしがれることがあります。もちろん、僕だって例外ではありません。
大丈夫、焦る必要はありません。音楽の道は、長く、険しく、それでいて自由です。
こんにちは、アカペラグループぷっちだるでパーカッションを担当しています、しげです。
この記事では、自分のセンスのなさに打ちひしがれたあなたにぴったりの名言(?)をいくつかご紹介します。
最後まで読む頃には、あまりの音楽の壮大さに一体何の話をしていたのかさえわからなくなっていることでしょう。今日は、よく眠れると思います。
音楽とは、静寂への挑戦である。
作曲家は、楽譜を書いては破り、書いては破りを繰り返し、より良いメロディ、より豊かなハーモニーを志向する。でなければ、そんなものない方がマシだからだ。
よい音楽とは、すなわち「ないよりも、ある方が良いもの」でなければならない。
つまり、音楽家とは、静寂へ挑戦する人たちなのである。
こちら、ぷっちだるふじきゅうさんからいただきました。
休符こそ、音楽。
前述の静寂への挑戦と似たニュアンスもあり、また全く別の視点からの言葉とも思えます。
休符には愛がある。休符にはロマンがある。休符には無限の可能性がある。
こちら、AquaNoteのんさんからいただきました。
一生懸命やらないと、人は感動なんかしてくれない。
街でバンドミュージックのあとに流れたとしても、ちゃんと魅力的で、誰もが聞いていられる、面白いと思ってもらえるアカペラを作る必要がある。そのためには、自分ができる範囲のことだけじゃなく、もっと一生懸命やらないと。一生懸命やらないと、人は感動なんかしてくれないよ。
しげが学生時代、とあるグループのバンドクリニックを見学していた時に出会った言葉です。今でもかなり心に残っているし、ステージに立つ上での座右の銘みたいなものでもあります。
こちら、ギタリストで音楽プロデューサーの幾見雅博さんからいただきました。
「何年経ってもちっとも上手に歌えない」と泣いていた20代の自分に言い聞かせたい。「20年後、素晴らしい仲間とまだ一緒に歌っているぞ」とね
お笑いの世界では、売れるやつとは、売れるまでやめなかったやつだという言葉ありますが、アカペラも同じなのかもしれません。20年歌い続けて、なんにも変わらない人もいないでしょうし、なにより素晴らしい仲間と一緒に歌い続けられること以上の喜びなどあるのでしょうか。
こちら、アカペラトリオCubixのmasaさんのツイートからいただきました。
センスがないなら磨けばいいじゃん。
周囲には絶対音感持ちが溢れ、そうでなくても楽譜や読める、三度でハモれる、ボイパで色んな音が出せるなど、自分にはない才能に囲まれた学生時代のしげが、泣き言を言った時に言われた言葉です。
そうです、ないなら磨けばいいんです。辞める必要なんてないし、アカペラは才能がある人だけが楽しめるようなものではありません。元を辿れば、教会音楽なのですから。
こちら、元Clearance・現甘党はちのき社長、サムさんこと奥村大祐さんからいただきました。
死にたくなっても、死にはしない。
ステージでの失敗は、それだけでアカペラをやめるには十分なほどの心のダメージを受けることがあります。そしてそれは、舞台に上がる直前にも襲ってくることがあります。
でもそんなときは、この言葉を思い出してください。
大丈夫、死にたくなることはあっても、本当に死んだ人はいないし、死ぬことはありません。
こちら、アカペラグループShineしゅーいちさんからいただきました。